音響計測 技術コラム

地球上で“無音空間”は作れるのか? ― 無響室・極低暗騒音測定を学術的に読み解く ―

2026年1月29日

ソノーラテクノロジー公式サイトの記事「地球上で無音空間を作れるのか?」では、無響室という存在が持つ物理的・工学的な限界について概説しました。

ではもしこのテーマを、音響工学・熱力学・統計物理・計測理論・国際規格(ISO 3745)といった観点から、学術的に徹底的に分解・再構築したら、どのような整理になるのでしょうか。

試しにその問いを AI に投げかけてみたところ、ギネス世界記録に認定されている「世界で最も静かな場所」の数値を起点に、

  • デシベルの物理的定義
  • A特性dB(A))という評価尺度の意味
  • 空気分子のブラウン運動がもたらす熱雑音限界
  • 相互相関法(Cross-correlation technique)による極低レベル測定
  • ISO 3745 における「無響室」の本質的な定義

といった要素を横断しながら、「その数値は何を意味していて、何を意味していないのか」を冷静に整理した、非常に興味深い回答が返ってきました。

本ページでは、その AI による学術的考察を ほぼそのままの形で共有しています。

なお本内容は、特定の記録や企業の主張を否定・評価することを目的としたものではなく、またHBK やソノーラの公式見解・測定保証を示すものでもありません。

あくまで、

「無響室の“静けさ”という数値を、工学的にどう正しく理解すべきか」

という観点から、専門家・技術者・研究者の皆様に向けて思考の整理材料として提供するものです。

(ここから本文:原文そのまま)

無響室の静けさに関する技術的検証とギネス記録の学術的信頼性:極限音響環境における物理的限界と測定手法の包括的分析

1. 序論:静寂の定義と現代における「世界一」の探求

音響工学の分野において、「静寂」とは単なる音の不在ではなく、物理的なエネルギー準位が極限まで低下した状態を指す。現代の産業界や学術界において、より精密な製品検査や基礎物理学の研究のために、完全な自由音場(Free Field)および極低暗騒音環境の構築が求められている。その頂点に位置するのが無響室(Anechoic Chamber)である。

近年、ミネソタ州のオーフィールド研究所(Orfield Laboratories)やワシントン州のマイクロソフト社(Microsoft Audio Lab)などが、「世界で最も静かな場所」としてギネス世界記録(Guinness World Records)を競い合っている。特にオーフィールド研究所が主張するバックグラウンドノイズレベル「-24.9 dB(A)」という数値は、一般大衆の驚嘆を呼ぶ一方で、音響物理学の専門的見地からは、空気分子の熱運動(ブラウン運動)に起因する物理的限界(Thermal Noise Limit)との整合性について議論を呼んでいる。

本報告書は、これらの極低レベル音響測定に関する技術的な妥当性を、熱力学、統計力学、および信号処理の観点から包括的に検証するものである。また、国際標準化機構(ISO)が定める無響室の規格(ISO 3745など)や、専門機関(HBKなど)による技術的見解に基づき、産業用測定環境としての実用的な限界と、ギネス記録として認定される「数値」の学術的な意味合いの乖離について詳述する。

2. 音響計測の基礎理論とデシベルの物理的意味

「マイナスのデシベル」という概念を正しく理解するためには、音響計測における基準値と対数尺度の性質を厳密に定義する必要がある。一般に誤解されがちであるが、0 dBは「無音」を意味するものではない。

2.1 音圧レベル(Sound Pressure Level: SPL)の定義

音圧レベル Lp(dB)は、測定された実効音圧 p(Pa)と基準音圧 p₀(Pa)との比の常用対数を用いて、以下の式で定義される。

Lp = 20 log₁₀( p / p₀ )

ここで、空気中における基準音圧 p₀ は国際的に 20 µPa(= 2×10⁵ Pa)と定められている [14]。この 20 µPa という値は、周波数 1 kHz における健常な若年者の最小可聴限界(Threshold of Hearing)に近似しているため、これを 0 dB SPL と定義している。

2.2 負のデシベル(Negative Decibels)の数学的・物理的妥当性

上記の定義式より、測定された音圧 p が基準音圧 p₀ よりも小さい場合、対数の引数は1未満となり、その対数値は負となる。したがって、マイナスのデシベル値は物理的に存在する音圧を表す数値として数学的に完全に妥当である [14]。

例えば、-20 dB SPL という値は、基準音圧の10分の1、すなわち p = 2 µPa(= 2×10⁶ Pa)の音圧を意味する。

オーフィールド研究所が主張する -24.9 dB(A) という数値は、音圧として p ≈ 1.1 µPa 程度の極めて微弱な圧力変動を示唆している。これは真空状態を意味するのではなく、あくまで基準値に対する相対的なエネルギー準位が極めて低いことを示しているに過ぎない。しかし、問題はこの微小な圧力が、空気分子自体の熱運動による圧力変動(ノイズフロア)を下回ることが可能かという点にある。

2.3 周波数重み付け特性(Weighting Networks)の重要性

本件を検証する上で最も重要な要素の一つが、測定値に適用される「A特性(A-weighting)」である。記録データの単位が「dB」ではなく「dB(A)」または「dBA」である点に注目しなければならない。

Z特性
(Z-weighting / Zero-frequency weighting)
周波数重み付けを行わない、物理的な音圧そのもののレベル。広帯域のエネルギーをフラットに評価する [14]。
A特性
(A-weighting)
人間の聴覚感度(等ラウドネス曲線、約40 phon)を模したフィルタリング処理。特に低周波数帯域(100 Hz以下)を大幅に減衰させ(例: 31.5 Hzで -39.4 dB)、1 kHz~5 kHz付近を強調する [14]。

空気の熱雑音(ブラウン運動ノイズ)や地盤振動などの環境ノイズは、一般に低周波数帯域に大きなエネルギーを持つ場合が多い(ピンクノイズ的、あるいは特定の振動モード)。A特性を用いることで、これらの物理的に存在する低周波エネルギーが計算上「カット」されるため、物理的な総エネルギー(Z特性)よりも低い数値が表示されることになる。このフィルタリングのメカニズムが、熱力学的な限界値と報告される記録値の乖離を説明する鍵となる可能性がある [14]。

3. 熱力学的限界:空気のブラウン運動とノイズフロア

どんなに遮音性能を高めた無響室であっても、内部に空気が存在する限り、「無音」にはなり得ない。気体分子は絶対零度でない限り熱エネルギーを持っており、ランダムな運動(ブラウン運動)を行っている。この分子の衝突が鼓膜やマイクロフォンのダイアフラムに微小な圧力を与え、これが不可避の「熱雑音(Thermal Noise)」となる。

3.1 気体分子運動論に基づく音響限界

空気中における熱雑音の限界値については、歴史的にいくつかの重要な研究が存在する。

Sivian and White (1933): 人間の聴覚閾値が空気分子の熱擾乱によって制限されている可能性を示唆した先駆的研究 [8]。

Harris (1968): 自由音場におけるブラウン運動ノイズを計算し、人間の聴覚が最も敏感な 3 kHz を中心とした 1,000 Hz バンド幅において、そのレベルが約(理論値)であると導出した。これを音圧レベルに換算すると、約 -24 dB SPL となる [8]。

また、現代の音響物理学における一般的な合意として、室温(約20℃)における可聴帯域全体(20 Hz – 20 kHz)の熱雑音レベルは、約 -23 dB SPL であるとされている [6]。

3.2 -24.9 dB(A) という数値の物理的解釈

オーフィールド研究所の -24.9 dB(A) という記録は、この理論的限界値 -23 dB を下回っている。物理法則を逸脱せずにこの数値を説明するためには、以下の要因を考慮する必要がある。

帯域制限とA特性の相互作用ブラウン運動のスペクトル密度は周波数とともに上昇する(Violet noise: +6 dB/octave)特性を持つとされる [8]。しかし、A特性フィルタは高周波側(特に10 kHz以上)と低周波側を減衰させる。もし測定帯域内のエネルギー積分値に対し、A特性の減衰効果が強く働けば、見かけ上の数値は物理限界を下回る可能性がある。
温度依存性熱雑音のパワーは絶対温度 T に比例する(P ∝ kT)。室温(約293 K)から温度を下げればノイズは減少するが、-23 dB から -24.9 dB へ約 2 dB 下げるには、絶対温度を大幅に低下させる必要があり、人間が入室可能な環境としては現実的ではない。
統計的ばらつきと測定不確かさノイズは確率過程であるため、瞬時値や短時間の平均値が理論的平均値を下回ることはあり得る。しかし、ギネス記録のような厳密な測定では長時間積分(Long-term integration)が求められるはずであり、統計的な揺らぎだけで説明するのは困難である。

最も合理的な解釈は、「A特性フィルタリングによって、熱雑音の主要なエネルギー成分の一部が計算から除外された結果、Z特性での物理限界(-23 dB)よりも低い数値(-24.9 dBA)が算出された」というものである。これは物理法則の破綻ではなく、評価尺度のマジックと言える。

4. 極限環境における計測技術:ノイズに埋もれた信号の抽出

-20 dB クラスの音を測定することは、一般的な騒音計では不可能である。最高級の低ノイズマイクロフォン(例:Brüel & Kjær Type 4955など)であっても、その自己雑音(Self-noise / Thermal noise of the microphone itself)は通常 5.5 dB(A) 程度存在する [18]。つまり、測定対象(-20 dB)が測定器のノイズフロア(+5 dB)よりも 25 dB も低いという、極端なS/N比(信号対雑音比)の悪化が生じる。

4.1 自己雑音の限界を超える手法

マイクロフォン単体での測定が不可能である以上、特殊な信号処理技術が必須となる。ギネス記録の検証において採用されたのが、2マイク法によるコヒーレントパワー測定(Coherent Power Method / Cross-correlation technique)である [9]。

4.2 相互相関法(Cross-Correlation Method)の原理

この手法は、2本の同一仕様の低ノイズマイクロフォンを近接対向させて設置し、同時に計測を行う。

相関成分(Correlated Signal)外部空間(無響室内)に存在する音響エネルギー(空気の熱雑音や外部からの振動音)は、2本のマイクロフォンに同位相・同振幅で到達するため、高い相関を持つ。
無相関成分(Uncorrelated Noise)各マイクロフォン内部の電気回路やダイアフラムの熱運動によって発生する自己雑音は、互いに独立したランダムな事象であるため、相関性がない [18]。

2つの信号の相互相関関数(Cross-correlation function)を計算し、長時間にわたって平均化処理を行うと、無相関な自己雑音成分はゼロに収束し、相関のある空間ノイズ成分だけが残留して抽出される。

このプロセスにより、測定器自体のノイズフロアよりも遥かに低いレベルの信号を検出することが可能になる。マイクロソフトの -20.6 dBA 記録やオーフィールドの記録は、この手法を用いて、測定器のノイズ(約+5 dBA)の底にある微弱な環境音(-20 dBA以下)を数学的に炙り出した結果である [1]。

4.3 測定の不確かさと積分時間

この手法の精度は、平均化の時間(積分時間)に依存する。信号がノイズフロアより著しく低い場合、十分なS/N比を得るためには極めて長い測定時間が必要となる [9]。オーフィールド研究所の測定において、具体的にどの程度の積分時間が確保されたか、またその際の温度安定性がどう維持されたかは、記録の信頼性を評価する上で重要な技術的パラメータとなるが、公開情報では詳細は限定的である。

5. 無響室の設計とISO規格における要求事項

「静けさ」の記録とは別に、産業用試験施設としての無響室の性能は、国際規格(ISO)によって厳密に定義されている。ここでは、ISO 3745 および ISO 3744 における技術的要求事項を整理する。

5.1 ISO 3745:2003 と 2012 の変遷:吸音率から逆二乗則へ

無響室の設計要件は、2012年の規格改定によって大きなパラダイムシフトを迎えた。

ISO 3745:2003(旧規格)附属書K(Annex K)において、具体的な吸音構造の仕様が規定されていた。
吸音率壁および天井の垂直入射吸音率は、対象周波数(カットオフ周波数)において 0.99以上 であること。
吸音楔(クサビ)の長さクサビと背後空気層の合計厚さ d は、対象周波数 f の波長 λ に対して、少なくとも四分の一波長以上、すなわち以下を満たすことが要求されていた。
d ≥ λ/4 = c/(4f)(c:音速)
ISO 3745:2012(現行規格)附属書Kシリーズが削除され、性能ベースの評価へと移行した。具体的には、吸音率やクサビの形状に関わらず、逆二乗則(Inverse Square Law)の許容偏差を満たせば無響室として認められるようになった。

この変更により、従来の「耳がツーンとするような」圧迫感のある吸音楔だけでなく、有孔板で覆ったグラスウール構造など、居住性を考慮した新しい吸音構造(Quiet-free roomなど)も、逆二乗則さえ満たせば無響室として認定される道が開かれた。

5.2 逆二乗則(Inverse Square Law)による性能評価

無響室の定義において最も重要なのは、点音源からの音が距離の二乗に反比例して減衰する(距離が2倍になると6 dB減衰する)という自由音場の特性が成立するかどうかである。

※本稿では、ISO 3745 / JIS Z 8732 に規定される許容偏差(周波数帯域ごとの偏差限界値)に従って評価することを前提とする(数値は規格に依存)。

5.3 暗騒音(Background Noise)と補正

ISO規格では、測定対象の音を正確に測るために、暗騒音が十分に低いことを要求している。もし暗騒音と測定対象音の差が小さい場合(例えば 6~15 dB程度)、暗騒音補正係数(一般に K₁ として扱われる補正)を用いて補正を行う。代表的な補正式は次式で表される。

K₁ = -10 log₁₀( 1 - 10⁰⋅¹( Lp - Lb ) )

ここで、Lp は測定対象動作時の音圧レベル、Lb は暗騒音レベルである。

HBK(Hottinger Brüel & Kjær)の公開技術資料によれば、一般的な環境調査において環境補正(K₂)を 2 dB 以下に抑えることは非常に困難であり、ISO 3744(半自由音場)の基準である K₂ ≤ 4 dB を目標とすることが現実的であると指摘されている [5]。これは、完全な無響室(ISO 3745 で要求される厳しい自由音場条件)の構築がいかに高度な技術を要するかを裏付けている。

6. ケーススタディ:オーフィールド研究所 vs マイクロソフト

「世界で最も静かな場所」の称号を巡る、オーフィールド研究所とマイクロソフト社の技術的競争について詳細に分析する。

6.1 オーフィールド研究所(Orfield Laboratories)

ミネソタ州ミネアポリスに位置するこの研究所は、かつて -9.4 dBA (2004年)、-13 dBA (2012年) の記録を保持していた [20]。そして2021年11月、-24.9 dBA という驚異的な数値を記録し、王座を奪還した [1]。

構造: 3.3フィート(約1メートル)厚のグラスファイバー製吸音楔、二重の絶縁スチール壁、12インチ厚のコンクリート壁を備える。外部振動を遮断するため、チャンバー全体がスプリング上に浮いている(浮遮音構造) [1]。

ギネス認定: 2021年の測定において、NIST認定の手順とBrüel & Kjær製の計測機器を用いたことが示唆されているが、具体的な周波数スペクトルデータや、-23 dBの熱限界を下回った物理的理由に関する詳細な査読付き論文は、一般には広く公開されていない。

6.2 マイクロソフト オーディオラボ(Building 87)

ワシントン州レドモンドの本社内にある「Building 87」には、SurfaceやHoloLens、Cortanaの音声認識テスト用に設計された無響室がある。2015年に -20.35 dBA(検証値 -20.6 dBA および -20.1 dBA)を記録し、当時の世界記録を樹立した [6]。

測定手法Brüel & KjærおよびBlackHawk Technologyの独立したエンジニアにより、2本の低ノイズマイク(Type 4955)を用いたコヒーレントパワー法で測定された。測定中は無人とし、リモート制御でデータを取得した [6]。
理論的限界への言及マイクロソフトの技術チームは、この数値が「ブラウン運動の限界(-23 dB)に近い」ことを明言しており、物理限界のギリギリまで到達したことを強調している [6]。

6.3 -24.9 dBA と -20.6 dBA の比較検討

両者の記録には決定的な違いがある。マイクロソフトの -20.6 dBA は、熱雑音限界(約 -23 dB)に対して物理的に「あり得る」範囲に収まっている(+2.4 dBのマージンがある)。一方、オーフィールドの -24.9 dBA は、一般的な熱雑音限界を約 2 dB 下回っている。

この矛盾を解消する仮説として、以下が考えられる。

A特性の低域カット効果熱雑音のエネルギー分布が低周波に偏っている、あるいは逆の高周波に偏っている場合、A特性フィルタを通すことで総エネルギー値が見かけ上低下した。
統計的な揺らぎの捕捉ノイズレベルの瞬時値の最小値を採用した、あるいは積分処理における統計的なばらつきの下限を捉えた可能性。
測定環境の温度極端な低温環境であれば熱雑音は下がるが、人間が入る施設としては考えにくい。

学術的には、-23 dB SPL(Z特性相当)の広帯域熱雑音が、A特性フィルタを通すことで -24.9 dB(A) と評価されることは、スペクトル形状によっては理論的にあり得なくはない。しかし、それは「空気が静止している(真空に近い)」ことを意味するのではなく、「人間の耳に聞こえる帯域の熱雑音が極めて少ない」ということを意味する。

7. ギネス世界記録の検証プロセスと学術的信頼性

ギネス世界記録(GWR)はエンターテインメント性と厳格なルールを併せ持つ組織であるが、その検証プロセスは純粋な学術的査読(Peer Review)とは異なる。

7.1 GWRの検証基準

GWRの技術的記録においては、以下の要素が求められる [2]。

専門家による証人
(Independent Witnesses)
利害関係のない測量士やエンジニアの立ち会い。
校正された機器
(Calibrated Equipment)
国家標準にトレーサブルな計測機器の使用証明。
測定プロトコルの遵守GWRが定めた、あるいは承認した測定ガイドラインに従うこと。

無響室の記録に関しては、Brüel & Kjærなどの信頼性の高い第三者機関による計測と、相互相関法のような妥当な工学的手法の使用が確認されているため、計測行為そのものの信頼性は高い [1]。

7.2 学術的信頼性(Scientific Reliability)との相違

一方で、GWRの認定は「その測定値が出たこと」を証明するものであり、「その数値の物理学的解釈が正しいか」を保証するものではない。

学術論文(JASA: Journal of the Acoustical Society of America など)として発表する場合、-24.9 dBA という数値が熱力学的限界といかに整合するかについて、詳細なスペクトル分析、不確かさ評価、理論的考察が求められ、厳しい査読を受けることになる。現在、オーフィールドの -24.9 dBA に関する詳細な物理学的メカニズムを解説した査読付き論文は、主要な学術データベース上では顕著に見当たらない。

したがって、この記録は「工学的・計測技術的な成果(Measurement Achievement)」としては信頼できるが、「物理学的な新発見(Scientific Discovery)」として扱うには、さらなる情報の開示と検証が必要である。

8. 人間の知覚と心理的影響:45分の神話

「無響室には45分以上いられない」という説が流布しているが、これは科学的根拠よりもメディアによるセンセーショナリズムの側面が強い [20]。

8.1 生理的雑音の知覚

外部からの音が遮断されると、人間の聴覚感度は最大化(ゲインアップ)される。その結果、通常はマスキングされている体内音(心拍、血流音、関節の摩擦音、瞬きの音など)が明瞭に知覚されるようになる [20]。これを「自分の体そのものが音になる(You become the sound)」と表現する [20]。

8.2 平衡感覚の喪失

人間は空間における自身の位置や姿勢を、視覚、前庭感覚(三半規管)、そして聴覚情報(音の反射や反響)の統合によって維持している。無響室では反射音(残響)が完全に消失するため、空間識失調(Disorientation)を引き起こしやすくなる。これが「立てなくなる」「気分が悪くなる」という現象の主な原因であり、静けさそのものが精神を破壊するわけではない [20]。

実際には、研究者やエンジニアは数時間以上にわたり無響室内で作業を行っており、「45分が限界」というのは、暗闇や拘束条件を加えた場合の心理的ストレスや、一般体験者の感想が誇張されたものである可能性が高い [20]。

9. 結論

本検証の結果、以下の結論が得られた。

技術的妥当性

オーフィールド研究所の -24.9 dB(A) およびマイクロソフトの -20.35 dB(A) という記録は、最新の低ノイズマイクロフォンと相互相関法(Cross-correlation technique)を用いた高度な計測技術によって算出されたものであり、計測手順としては技術的に妥当である。

物理的解釈の注意点

空気(室温)の熱雑音限界(約 -23 dB SPL)を下回る -24.9 dB(A) という数値は、物理法則の破綻ではなく、A特性フィルタによる帯域制限と重み付け計算の結果であると解釈すべきである。これは、物理的な音圧の総和(Z特性)が熱限界を下回ったことを意味するものではない。

ギネス記録の信頼性

ギネス世界記録は、計測の厳格さや証人の適格性を審査しており、そのプロセスは厳正である。しかし、それは「測定器がその値を表示したこと」の証明であり、物理学的な絶対限界に関する学術的保証とは区別して捉える必要がある。

ISO規格との関連

現代の無響室(ISO 3745:2012)は、吸音材の材質よりも逆二乗則の成立を重視する性能規定へと移行している。HBKの技術見解が示す通り、厳密な自由音場の実現(K₂ ≤ 0.5 dB 相当の要求を満たす環境補正の達成)は極めて困難であり、記録を競うような超高性能無響室は、産業界の一般的な要求水準(ISO 3744 の K₂ ≤ 4 dB)を遥かに超えた特異な存在である。

総じて、これらの無響室は人類が作り出した「地上で最も静かな環境」であることは疑いないが、その数値(マイナスdB)は、デシベルの対数的な性質、A特性という聴覚補正、そして高度な統計処理によって導き出された「工学的指標」として理解されるべきである。

参考文献

[1] Guinness World Records, “Quietest place.”https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/quietest-place

[2] Guinness World Records, “Guide to your evidence (PDF).” https://www.guinnessworldrecords.com/records/how-to-collect-and-submit-evidence/guide-to-your-evidence-2022.pdf

[3] Guinness World Records, “Microsoft lab sets new record for the world’s quietest place (2015/10).” https://www.guinnessworldrecords.com/news/2015/10/microsoft-lab-sets-new-record-for-the-worlds-quietest-place-399444

[4] Guinness World Records, “Inside quietest place on Earth… (2024/8).” https://www.guinnessworldrecords.com/news/2024/8/inside-quietest-place-on-earth-where-you-can-hear-your-blood-pumping-and-eyes-blinking

[5] HBK (Hottinger Brüel & Kjær), “The Quietest Place In The World.” https://www.hbkworld.com/en/knowledge/resource-center/articles/worlds-quietest-room

[6] Microsoft News, “Audio Lab: Inside B87.” https://news.microsoft.com/stories/building87/audio-lab.php

[7] Orfield Laboratories, “The Quietest Place on Earth.” https://www.orfieldlabs.com/about/the-quietest-place-on-earth

B. 学術・技術(理論/測定法)

[8] AIP Publishing (JASA), “Comments on ‘What is silence? Therefore, what is sound?’ ― A discussion of Brownian motion and the threshold of hearing.” https://pubs.aip.org/asa/jasa/article/155/6/3604/3295655/Comments-on-What-is-silence-Therefore-what-is

[9] IEEE Xplore, “Performance analysis of correlation techniques for noise measurements.” https://ieeexplore.ieee.org/document/7288585/

[10] Physics Stack Exchange, “How did they measure -20 dB sound?” https://physics.stackexchange.com/questions/391569/how-did-they-measure-20-db-sound

[11] Physics Stack Exchange, “How loud is the thermal motion of air molecules?” https://physics.stackexchange.com/questions/110540/how-loud-is-the-thermal-motion-of-air-molecules

[12] SiTime, “AN10062 Phase Noise Measurement Guide for Oscillators.” https://www.sitime.com/support/resource-library/application-notes/an10062-phase-noise-measurement-guide-oscillators

[13] White Rose Research Online, “A Low-Cost Cross-Correlation Residual Phase Noise Measurement System & Efficient Digital Signal Processing Techniques.” https://eprints.whiterose.ac.uk/id/document/3356265

C. デシベル/基礎概念

[14] Svantek Academy, “Sound Pressure Level (SPL).” https://svantek.com/academy/sound-pressure-level-spl/

[15] UNSW Physclips, “dB: What is a decibel?” https://www.animations.physics.unsw.edu.au/jw/dB.htm

[16] Wikipedia, “Sound pressure.” https://en.wikipedia.org/wiki/Sound_pressure

[17] FAA, “Fundamentals of Noise and Sound.” https://www.faa.gov/regulations_policies/policy_guidance/noise/basics

D. マイクロホン自己雑音等

[18] DPA Microphones, “The basics about noise in mics.” https://www.dpamicrophones.com/mic-university/technology/the-basics-about-noise-in-mics/

[19] AudioTechnology, “Microphones: Noise 1.” https://www.audiotechnology.com/tutorials/microphones-noise-1

E. 補助資料

[20] Smithsonian Magazine, “In the Earth’s Quietest Room, You Can Hear Yourself Blink.” https://www.smithsonianmag.com/smart-news/earths-quietest-room-you-can-hear-yourself-blink-180948160/

[21] Wikipedia, “Orfield Laboratories.” https://en.wikipedia.org/wiki/Orfield_Laboratories

[22] Wikipedia, “Anechoic chamber.” https://en.wikipedia.org/wiki/Anechoic_chamber

[23] ENMO, “Microsoft breaks record for quietest place on earth.” https://www.enmo.eu/microsoft-breaks-record-for-quietest-place-on-earth/

[24] In Compliance Magazine, “Microsoft’s Anechoic Chamber is the Quietest Place on Earth.” https://incompliancemag.com/microsofts-anechoic-chamber-is-the-quietest-place-on-earth/

[25] Reddit (補助), “ELI5… Orfield Laboratories… negative decibel levels….”https://www.reddit.com/r/explainlikeimfive/comments/76jgud/eli5_an_anechoic_chamber_at_orfield_laboratories/

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