音響計測 技術コラム
無響室の壁はなぜトゲトゲ?吸音クサビの仕組みを解説
2026年8月3日
- HBK × Sonora 音響計測ソリューション
- 音響計測 技術コラム
- 無響室の壁はなぜトゲトゲ?吸音クサビの仕組みを解説
音響パワー測定
無響室の壁はなぜ「トゲトゲ」なのか?吸音クサビの形に隠された物理
無響室に入ると、まず目に入るのが、壁や天井に並んだトゲトゲした吸音体です。一般には「吸音クサビ」または「吸音楔」と呼ばれています。
同じ吸音材を使うのであれば、平らに施工した方が製作しやすく、室内の有効寸法も確保しやすそうに見えます。それでも、従来型の無響室でクサビ形状が広く採用されてきたのは、音の反射を抑えるうえで合理的な理由があるからです。
先に結論を言うと、吸音クサビには、空気から吸音材へ音が入るときの音響的な変化を緩やかにし、音を吸音材の奥へ入りやすくする働きがあります。十分な奥行きを確保しやすいことも、低い周波数まで反射を抑えるうえで有利です。
ただし、「平らな吸音材では無響室を作れない」という意味ではありません。現在では、対象周波数、必要な自由音場性能、室内寸法、耐久性などに応じて、平面型や複合型の吸音構造も採用されています。
多孔質吸音材は、どのように音を吸収するのか
吸音クサビには、グラスウールなどの多孔質吸音材が使われます。
多孔質吸音材の内部には、繊維の隙間や細かな空気の通り道があります。音が入射すると、その隙間にある空気も音に合わせて振動します。
このとき、空気の動きには粘性による抵抗が生じます。また、空気が圧縮と膨張を繰り返すことで、空気と材料の間に熱の移動も起こります。こうした粘性損失と熱的損失により、音響エネルギーの一部がごく微小な熱へ変換されます。これが、多孔質吸音材による吸音の基本的な仕組みです。
一般向けには「繊維との摩擦で音を熱に変える」と説明されることがあります。大きく外れた説明ではありませんが、より正確には、粘性と熱の両方が関係しています。
平らな吸音材でも音は吸収できる
平らなグラスウールを壁に取り付けても、吸音効果は得られます。厚さ、密度、通気抵抗、表面材、背後空気層などを適切に設計すれば、平面型でも高い吸音性能を実現できます。
それでは、なぜトゲトゲした吸音クサビが使われるのでしょうか。その理由の一つが、空気と吸音材の境界で生じる反射です。
音響インピーダンスは、音圧と粒子速度の関係を表す量で、音が異なる領域の境界を通過するときの反射や透過に関係します。空気と多孔質吸音材では音響特性が異なるため、平らな表面へ入射した音のすべてが吸音材の内部へ入るわけではなく、一部は表面で反射します。
吸音材の性能を十分に活かすには、できるだけ音を内部へ入りやすくすることが重要です。
クサビ形状は、空気から吸音材への変化を緩やかにする
吸音クサビは、先端が細く、奥へ進むほど断面積が大きくなる形をしています。
ここで注意したいのは、吸音材そのものの密度が、先端から奥へ向かって変化しているわけではないという点です。同じ材料で作られたクサビであれば、材料自体の密度は基本的に一定です。
変化するのは、音波から見たときに、空間の中で吸音材が占める割合です。
クサビの先端付近では、音波が接する吸音材の割合が小さく、奥へ進むほどその割合が大きくなります。そのため、空気だけの領域から吸音材が多く存在する領域へ、実効的な音響特性が徐々に変化します。
つまり、クサビは境界を完全になくすのではなく、空気から吸音材への急な切り替わりを緩やかにする構造です。段差を、なだらかなスロープへ置き換えるようなものと考えると分かりやすいでしょう。
この形状により、入口付近での反射を抑えながら、音を吸音材の奥へ入りやすくします。さらに、クサビの奥行きによって、音が損失を受けるための十分な厚さも確保できます。
吸音クサビの性能は、形だけでは決まらない
吸音クサビの性能を左右するのは、見た目の形だけではありません。主な設計要素は次のとおりです。
| 設計要素 | 主な影響 |
|---|---|
| クサビの長さ・幅 | 対応しやすい周波数帯、室内の有効寸法 |
| 先端・根元の形状 | 表面反射、構造強度、製作性 |
| 吸音材の密度・通気抵抗 | 音が内部へ入る量と、内部で生じる損失 |
| 表面を覆う材料 | 音響透過性、耐久性、清掃性、繊維飛散対策 |
| 背後空気層 | 低周波域を含む吸音特性 |
| 音の入射角度 | 実際の反射特性 |
| 室内形状・吸音体の配置 | 完成した空間の自由音場性能 |
特に低い周波数の音は波長が長いため、反射を十分に抑えるには、一般に大きな奥行きが必要になります。
例えば、音速を約343 m/sとすると、100 Hzの音の波長は約3.43 mです。その4分の1は約0.86 mになります。
「4分の1波長」は吸音構造の奥行きを検討するときに使われてきた代表的な設計目安ですが、すべての吸音クサビにそのまま適用できる絶対条件ではありません。材料の通気抵抗、クサビ形状、背後空気層、表面材、入射条件などによって、実際の性能は変わります。
低周波性能と吸音体の設計については、以下の記事でも詳しく解説しています。
吸音クサビは、すべての無響室に必要なのか
吸音クサビは、無響室で反射を抑えるための代表的な構造ですが、すべての無響室に必須というわけではありません。
現在では、平面吸音材、多層構造、背後空気層を利用した構造、複数の吸音方式を組み合わせた構造なども使われています。どの方式が適しているかは、次の条件によって変わります。
無響室の性能は、「壁がトゲトゲしているかどうか」だけでは判断できません。重要なのは、必要な周波数範囲と測定領域において、目的に合った自由音場が形成されているかどうかです。
無響室の構造と規格上の考え方については、吸音率0.99の誤解―ISO 3745:2012が変えた無響室評価の思想もご覧ください。
1946年に発表されたベラネクらの研究
吸音クサビの歴史を考えるうえで、L. L. BeranekとH. P. Sleeper, Jr.が1946年に発表した論文は重要な資料です。
この研究では、無響室に用いる5種類の吸音構造を比較し、結合材で成形したグラスファイバー製のクサビ構造が、比較対象の中で最も良好な結果を示したと報告されています。
さらに、目標とする最低周波数、または室内に設置できる吸音構造の最大奥行きを基準に、クサビを設計する考え方も示されました。完成した2室については、逆二乗則に基づく測定結果も報告されています。
この論文は「吸音クサビを初めて発明した」と断定できる資料ではありませんが、無響室用吸音クサビの設計を体系化した代表的な研究の一つと位置付けられます。
吸音率と無響室の測定可能下限周波数は別に考える
吸音体単体の性能と、完成した無響室の性能は分けて考える必要があります。
垂直入射吸音率は、特定の試験条件で、試料へ垂直に音が入射したときの吸音性能を評価する指標です。材料や吸音構造を比較・設計するうえで重要ですが、その値だけで完成した無響室の自由音場性能が決まるわけではありません。
無響室全体の性能には、室内寸法、吸音体の配置、音源とマイクロホンの位置、床、扉、照明、空調設備、貫通部、測定治具なども影響します。
ISO 26101-1:2021では、無響室および半無響室が自由音場の要求を満たすかどうかを評価する方法が規定されています。したがって、吸音率は吸音体の設計・評価に用い、無響室として使用できる周波数範囲や測定領域は、完成後の音場測定によって確認することが重要です。
規格と適格性確認については、次の記事をご参照ください。
よくある質問
平らな吸音材では無響室を作れないのでしょうか
平面吸音材でも無響室を構成できます。対象周波数、室内寸法、吸音材の厚さ、背後空気層、配置などを設計し、完成後に必要な自由音場性能を確認できれば、必ずしもクサビ形状である必要はありません。
吸音クサビは長いほど高性能ですか
一般には、奥行きが大きいほど低い周波数まで対応しやすくなります。ただし、長さだけで性能は決まりません。材料の通気抵抗、密度、形状、背後空気層、表面材などを含めた設計が必要です。
クサビの先端は鋭く尖っている必要がありますか
必ずしも鋭く尖らせる必要はありません。先端を切り落とした形状でも、材料、寸法、配置を適切に設計することで、必要な性能を確保できる場合があります。
ISO規格では吸音クサビの使用が義務付けられていますか
吸音クサビという特定の形状が一律に義務付けられているわけではありません。重要なのは、採用する測定規格や測定目的に対して、試験空間が必要な自由音場性能を満たしていることです。
「カットオフ周波数」と「測定可能下限周波数」は同じですか
厳密には同じではありません。カットオフ周波数は吸音体や吸音構造の性能を説明する際に使われることが多い用語です。一方、測定可能下限周波数は、完成した無響室が測定空間として使用できる周波数範囲の下限を指します。後者は、完成後の音場測定によって確認する必要があります。
まとめ
無響室の壁がトゲトゲしているのは、単に吸音材の表面積を増やすためだけではありません。
吸音クサビには、主に次の役割があります。
- 空気から吸音材への急な音響的変化を緩やかにする
- 入口付近での反射を抑え、音を吸音材の内部へ入りやすくする
- 吸音に必要な奥行きを確保する
- 無響室に必要な自由音場を形成しやすくする
ただし、クサビ形状だけで無響室の性能が決まるわけではありません。吸音材の特性、寸法、背後空気層、室内形状、測定周波数、音源とマイクロホンの配置、設備からの反射までを一体として設計し、完成後の音場測定によって性能を確認する必要があります。
守谷商会では、HBKの音響・振動計測機器と、ソノーラテクノロジーの無響室・半無響室・無響箱を組み合わせ、測定目的に応じた構成提案から導入、運用までを支援しています。
吸音クサビについては、新型吸音クサビ「BFW」をご覧ください。測定空間と計測システムを一体で検討するメリットは、なぜHBK × SONORAなのかで詳しく解説しています。
実機によるテストや測定環境の見学をご希望の場合は、ショールーム・デモをご確認ください。無響室の新設・更新、測定システムの選定、規格対応については、守谷商会へお問い合わせください。
参考文献
- L. L. Beranek and H. P. Sleeper, Jr., “The Design and Construction of Anechoic Sound Chambers,” *The Journal of the Acoustical Society of America*, Vol. 18, No. 1, pp. 140–150, 1946. DOI: 10.1121/1.1916351
- Mark J. Cops et al., “Estimation of Acoustic Absorption in Porous Materials Based on Visco-Thermal Boundary Layers Modeled as Boundary Conditions,” *The Journal of the Acoustical Society of America*, Vol. 148, pp. 1624–1635, 2020. DOI: 10.1121/10.0001959
- ISO 26101-1:2021, *Acoustics — Test methods for the qualification of acoustic environments — Part 1: Qualification of free-field environments*
- ISO 10534-2:2023, *Acoustics — Determination of acoustic properties in impedance tubes — Part 2: Two-microphone technique for normal sound absorption coefficient and normal surface impedance*
- 日本音響学会編『音響用語辞典』コロナ社
音響計測 技術コラム 新着記事
-

2026.08.03
無響室の壁はなぜトゲトゲ?吸音クサビの仕組みを解説 -

2026.07.28
ホワイトノイズ・ピンクノイズ・スイープ信号の違い|音響測定の信号を解説 -

2026.07.13
防音パーテーションによる音響調整 ― 無響室内音場調整と簡易音響測定への活用 ― -

2026.07.08
なぜHBK × SONORAなのか ― 音響計測機器と音響計測空間を一体で考えるメリット ― -

2026.05.18
吸音率0.99の誤解 ― ISO 3745:2012が変えた無響室評価の思想 ― -

2026.05.13
HATSの使い方 ― 人の頭と耳を再現する測定器を、規格と環境の中でどう運用するか ― -

2026.04.13
建築音響の評価手法:現場測定の効率化とラボ環境での材料評価 -

2026.03.23
日本音響学会 研究発表会に参加 ~HBK×SONORAが提案する次世代の音響計測ソリューション~ -

2026.03.10
無響室関連規格をどう読むか ― 音響パワー測定規格と試験室適格性確認の整理 ― -

2026.01.29
地球上で“無音空間”は作れるのか? ― 無響室・極低暗騒音測定を学術的に読み解く ―


